金融大学(金融大学講座)

外国為替入門講座 第11回 国際通貨制度

1.国際通貨制度

 

国際間の貿易や金融取引の決済に使用される通貨のことを国際通貨といいます。国際通貨を使った決済制度や国際収支の調整方法のことを国際通貨制度といいます。

 

国際間の決済で通貨の基準となったのはです。金を通貨の尺度とする通貨制度を金本位制といいます。金本位制のもとでは、経済力と軍事力が強く、金を豊富に保有する国の通貨が国際通貨として利用されました。

 

19世紀にはポンドが、20世紀半ばにはドルが、国際通貨として使われてきました。金本位制のもとでは、各国の通貨が金と一定比率で交換される固定相場制を維持することができました。しかし、ポンドやドルによる固定相場制は、これらの国の経済力や軍事力の低下とともに崩壊してしまいました。20世紀の後半から現在までは、通貨の交換レートが市場で決められる変動相場制に移行しています。為替レートを安定させることが大きな課題となり、新しい通貨体制を模索しているところです。

 

国際通貨制度

 

 

 

2.英ポンドと金本位制

 

18世紀までの世界では、銀や金の貴金属がお金として使われていました。銀や金は、稀少性保存性に優れていたからです。しかし、19世紀になると、大銀山の発見により銀の産出量が増え、銀の価値が次第に落ちていきました。そのため、のみが通貨の基準として使われるようになっていきました。

 

19世紀の世界をリードしていた英国では、産業革命をいち早く達成し、輸出競争力に圧倒的な強さを誇っていました。広大な植民地から金を豊富に集めることができた英国は、その金を裏付けに通貨の発行を始めました。

 

1816年に1ポンドの金貨鋳造をはじめたのを手始めに、1844年には、イングランド銀行が金と交換できるポンド表示の兌換紙幣を発行します。中央銀行が、発行する紙幣と同額の金を常時保管しておいて、紙幣と金との兌換を保証する制度です。これを金本位制といいます。金価格を、1オンス(約31g)=3ポンド17シリング
10ペンス半と決めました。これにより、ポンドは、持ち運びに不便な金のかわりに利用されるようになります。

 

ポンドを中心とする金本位制は、第一次世界大戦前の1914年までの1世紀の間、続きました。第一次世界大戦後の1925年に金本位制に復帰したのですが、1929年にニューヨークのウォール街で株式が大暴落した大恐慌をきっかけにして、1931年に再び金本位制を離脱します。英国の経済力が、植民地の独立や離反により大きく低下していたのが原因です。

 

国際通貨制度

 

 

 

3.管理通貨制度

 

列強各国は、英国とともに金本位制を離脱して、金の保有量と関係なく通貨を発行する管理通貨制度を採るようになりました。しかし、米国だけは、巨大な経済力をバックに金本位制を維持しました。列強各国は、金を獲得しようと保護貿易主義に走りました。輸出を伸ばそうとして為替レートの切下げ競争(為替ダンピング)や輸入制限に走ったために、世界の貿易は縮小していきました。最終的には、ブロック経済の対立を引き金に、第二次世界大戦(1939~1945)に突入してしまいました。

 

 

 

4.ブレトンウッズ体制(1945~1971年)

 

1944年7月、米国のニューハンプシャー州ブレトンウッズで、戦後の国際通貨体制について、連合国44カ国による会議が開かれ、国際通貨基金(IMF)協定などが結ばれました。その結果、国際通貨制度の再構築や、安定した為替レートに基づいた自由貿易に関する取り決めが行われました。この体制をブレトンウッズ体制または、IMF体制といいます。

 

為替レートを安定させて、自由貿易を発展させるために、国際通貨体制を支える機関として国際通貨基金(IMF)国際復興開発銀行(IBRD)の設立を決めました。国際通貨基金は短期的な資金を、国際復興開発銀行は長期的な資金を援助する機関です。

 

国際通貨基金(IMF)は、金だけを国際通貨とする金本位制ではなく、ドルを基軸通貨とする制度を作り、ドルを金とならぶ国際通貨としました。これは、1930年から1940年代、世界のおおかたの金が米国に集中しており、米国が圧倒的な経済力を誇っていたという事情のためです。米国の豊富な金をもと発行されたドルに、金と同様の価値を保証しました。IMFの加盟各国は、自国通貨を金またはドルで平価(交換率)を表示することにしました。このように、ドルと各国の通貨価値を連動させたことから、ブレトンウッズ体制(IMF体制)のことを、金・ドル本位制といいます。

 

この制度では、金とドルの交換率を、金1オンス=35ドルと決め、金との交換を保証しました。また、為替相場の変動を平価の上下1%以内に維持することが決められ、ほとんどの加盟国が、ドルに対して1%より狭い変動幅に定めました。日本も、平価を1ドル=360円に固定し、変動幅もIMFに加盟した当初は上下0.5%、1963年以降は上下0.75%としていました。為替レートが固定されているこの制度を固定相場制といいます。

 

しかし、米国は、1960年代にベトナム戦争での大量支出や、対外的な軍事力増強などを行った結果、大幅な財政赤字を抱えることとなり、国際収支が悪化して、大量のドルが海外に流出してしまいました。米国は、金の準備量をはるかに超えた、多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなりました。

 

1971年8月15日、米大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表しました。これをニクソン・ショックといいます。これにより、ブレトンウッズ体制は崩壊しました。信用を失った米ドルは大量に売却され、市場で大暴落しました。ブレトンウッズ体制の崩壊により、国際通貨制度は一時的に変動相場制へと移行しました。

 

国際通貨制度

 

 

 

5.スミソニアン体制(1971年~1973年)

 

1971年12月、米国のワシントンにあるスミソニアン博物館で、先進10カ国蔵相会議が行われ、ドルの切り下げと為替変動幅の拡大が取り決められました。金とドルの交換率は、1オンス=35ドルから38ドルへ引き上げられ(ドルは7.89%切り下げ)、円は1ドル=360円から308円(16.88%切り上げ)となりました。また、為替変動幅は、上下各1%から上下各2.25%へと広がりました。この固定相場制をスミソニアン体制といいます。

 

国際通貨制度

 

しかし、スミソニアン体制でも、米国や英国の国際収支の悪化は止まりませんでした。英国をはじめ、各国がスミソニアン体制を放棄、1973年には、主要先進国は変動相場制に移行しました。スミソニアン体制は、わずか2年で崩壊となりました。

 

 

 

6.変動相場制(1973年~)

 

主要先進国は、1973年には変動相場制に移行しました。1976年1月、ジャマイカのキングストンで、IMFの暫定委員会が開かれ、変動相場制の正式承認を含む、IMF協定の第2次改正を決定しました。ここで金の廃貨が決まりました。この制度は、1978年4月1日に発効となりました。これを、キングストン合意といいます。

 

変動相場制とは、外国為替市場で取引される為替レート(通貨の交換比率)を、一定比率に固定せず、市場での需要と供給により自由に変動させる制度です。フロート制ともいいます。

 

変動相場制には、国際収支の不均衡を自動的に調整させる機能があると考えられました。例えば、貿易収支が赤字に行き過ぎると、ドル買い需要が増えて円安・ドル高に推移します。その結果、輸出が増え、輸入が減り、貿易収支の赤字は解消されるというものです。逆に、貿易収支が黒字になれば、ドル売り需要が増えて円高・ドル安に推移します。その結果、輸出が減り、輸入が増えて、貿易収支の黒字は解消されると考えられました。しかし、資本取引が活発になり、金利差が相場に大きく影響を与える局面などでは、為替レートは必ずしも経常収支を均衡させる水準に決まらず、まったくかけ離れた水準で推移する期間が続きました。

 

現在の変動相場制は、市場で通貨の交換レートを決めますが、中央銀行が市場介入による為替レート操作を行う場合もあるため、完全に自由なフロート制ではありません
変動相場制は現在でも機能している制度ですが、1973年以来順調に進んできたわけではありません。各国の貿易収支不均衡の問題をはじめ、多くの問題が論じられましたが、それに対応するために協調介入や各国のマクロ経済の政策協調などで、何度も崩れかけそうになったこの新しい通貨システムを支えています。

 

 

スポンサーリンク

 

 

まとめ

英ポンドと金本位制(1816~1931)
  1816年 1ポンド金貨鋳造
  1オンス(約31g)=3ポンド17シリング10ペンス半…固定相場
  1844年 イングランド銀行…ポンド紙幣と金の兌換を保証
管理通貨制度(1931~1945)
  金本位制廃止…為替切り下げ競争、輸入制限、ブロック経済
ブレトンウッズ体制(1945~1971)
  国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)の設立を決定
  IMFは、ドルを金とならぶ国際通貨とした(金・ドル本位制)
  1オンス=$35  変動幅1%…固定相場
  1971年8月 ニクソン・ショック…ブレトンウッズ体制崩壊
スミソニアン体制(1971~1973)
  ドルの切り下げと為替変動幅の拡大を決定
  1オンス=$38 変動幅2.25%
  1973年には主要先進国は変動相場制に移行…スミソニアン体制崩壊
変動相場制(1973年~)
  1976年1月 キングストン合意(1978年4月発効)
  変動相場制の正式承認を含む、 IMF協定の第2次改正を決定
  金が廃貨となる

 

 

問題と解答
  1. 金を通貨の尺度とする金●●制のもとでは、経済力と軍事力が強く、●を豊富に保有する国の通貨が国際通貨として利用されました。
  2. (答え)本位、金

  3. 1844年、イングランド銀行が金と交換できるポンド表示の●●紙幣を発行しました。これを●●位制といいます。
  4. (答え)兌換、金本

  5. 19●●年、ブレトンウッズで連合国44カ国による会議が開かれ、国際通貨基金(IMF)協定などが結ばれ、国際通貨制度の再構築や、安定した為替レートに基づいた自由貿易に関する取り決めが行われました。この体制を●●●●ウッズ体制または、IMF体制といいます。
  6. (答え)44、ブレトン

  7. ブレトンウッズで行われた連合国会議では、短期的な資金を援助する国際通貨●●(IMF)と、長期的な資金を援助する国際●●開発銀行(IBRD)の設立を決めました。
  8. (答え)基金、復興

  9. 国際通貨基金は、●●を基軸通貨とする制度を作って、ドルを金とならぶ国際通貨としました。また、加盟国の自国通貨を、金または●●で平価を表示することにしました。
  10. (答え)ドル、ドル

  11. 固定相場制では、金とドルの交換率を、金1オンス=●●ドルと決め、金との交換を保証しました。また、為替相場の変動を平価の上下●●以内に維持することが決められました。
  12. (答え)35、1%

  13. 1971年8月15日、米大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表しました。これを●●ソン・ショックといいます。 これによりブレトンウッズ体制は崩壊し、国際通貨制度は一時的に●●相場制へと移行しました。
  14. (答え)ニク、変動

  15. 1971年12月、米国のスミソニアン博物館で、先進10カ国蔵相会議が行われ、●●の切り下げと為替変動幅の拡大が取り決められました。この固定相場制をスミソニ●●体制といいます。
  16. (答え)ドル、アン

  17. 1976年1月、ジャマイカのキングストンで、IMFの暫定委員会が開かれ、変動相場制の正式承認を含む、IMFの第2次協定改正を決定し、●の廃貨が決まりました。これをキン●●トン合意といいます。
  18. (答え)金、グス

  19. ●●相場制とは、外国為替市場で取引される為替レート(通貨の交換比率)を、一定比率に固定せず、市場での需要と供給により自由に変動させる制度です。●●ート制ともいいます。
  20. (答え)変動、フロ

金融大学TOP > 金融大学講座 > 外国為替入門講座 第11回 国際通貨制度

 このエントリーをはてなブックマークに追加 

トップへ戻る